わかっていること

運命は予想できない


でも一つだけ分かっていることがある。

本当に幸せにになれる人とは、
自ら進んで世の中の役に立つ全てを求め、
見出した人である。』

どなたのお言葉か
存じ上げないのですが
なんとなく
心地よく感じたフレーズ。

ただ、
言葉の真意を深く理解できずにいるワタシ

未熟者だなぁ
ってことも
わかっていることのひとつ(笑)


あわせる

人に合わせることを

大切にしているつもりでも


人の様子に

合わせているだけなのかも


つまり

フレンドリーな人にはフレンドリー

無愛想な人にはあたりさわらず

無難にやりすごしているだけ


人として在りたい姿を尊重し

相手との距離感や望みを観たうえで 

気を利かすかかわりをすることこそ

人に合わせることを

大切にしているといえる

気がする今日この頃




経験や体験

この世に生まれて

いのちが求めているのは

経験や体験


だからって

むやみやたらな

経験や体験を

仕掛ける必要は

ないのかもしれない


経験や体験は

日常そのものの中に

あるのだから


大切なことは

どんな経験や体験をするか

よりも

経験や体験をする中で

何を感じ

何を得たのかを

味わうことの方だから


人によっては

未経験や未体験を

追いかけ続けることが

経験であり体験なのかもだけど


どんな経験や体験をするかは

すでに決めて生まれてきてるのかも


キャッチ

経験や体験が大切

なのはもちろんだけど


もっと大切なのは

その経験や体験を通して

どんなことを感じたか

どんなことを得たのか

次はどうしたいのか



ジブンの中から湧き出たことを

キャッチして味わうこと


それらを意識しないまま

経験や体験に臨んでしまうと

価値が半減以下になってしまうかも

オトナとコドモ

オトナもコドモも
人間として同等

だけど
オトナとコドモは
分けられる

オトナとコドモの
境界線はどこなのだろう

そもそも
境界線なんて
あるのだろうか

コドモのようなオトナもいるし
オトナのようでコドモの人もいる

精神的に未熟な人は
オトナなのだろうか
コドモなのだろうか

コドモは擁護されて
オトナは非難される

オトナとコドモの境界線
違いを分ける基準はどこだろう

トキドキ
そんなことが気になってしまう(^^;;

生きづらさ

言葉ひとつ


活字化された

文字の羅列は

誰にとっても

同じでしかなくても


その言葉に

含まれている

ニュアンスや経験は

人それぞれ


生きづらさ


かつて

この言葉を引き合いにされて

そのことに気づいた


観てるもの

感じているものが

天と地ほどに違っていたことに



生き抜き方えらび

ためらってしまう・・・

言いたいことを

諦めてしまいがち・・・


なことに気づけたらラッキー


今までは

そうすることでしか

生き抜けなかったとしても


これからは

言いたいことを言う

生き方を選ぶという

強さを持とう