働きかた

社会人になるときに

一人暮らしを始めた


社会に貢献するために

という想いを

持ち合わせていたけど


生きていくために

働いていたように思う


社会貢献よりも

お金を得ることが先で


そのために

お客様や仕事仲間を

大切にする


会社員の卒業を決めるころには

そのサイクルが不可思議に

なってはいたけど


働くことはお金を得ること

という概念はそのまんまだったかも


どんな働きかたをしたいか

とか

好きで得意なことは何か

とか


ジブンを軸にして

本当に大切にしたいこと

優先したいことを決める

という概念はなかったなぁ






在り方

ほんの少しだけ

振り返るだけで

思い出すことが

できるはずのことを

バッサリ

斬り捨てられるのは

気持ち悪いものだけど

大切に扱ってもらいたい

って気持ちの表れでもある


つまりのところ

ワタシもダレカに

同じ想いをさせているのだろうなぁ


まったくもって無意識だけど


ほんの

ささやかな時間を

目の前の人に捧げることを

意識してみよう


人の在り方として





答えはその人の中にある

自由選択を促しながら選択したことを

やんわり却下するのであれば

いくつかの許容範囲の選択肢を与えた方が

お互いにストレスフリーになれるのになぁ。


でも、この手のクセを持っている人には、

その人の意向を先に聴いてあげるといいんだよね。


おそらく、その人の中に

すでに【答え】はあるのだろうから。


自由選択を促したときには

答えがなかったとしても。

大切なつながり

つながりが大切


人は一人では

生きられないから


誰と

つながるかも

とてもとても大切


ただ、その前に・・・

さらに大切なことは


人は皆

つながっている存在である

ってこと


そこのところを

しっかりと踏まえた上で

つながりについて

見つめなおしてみよう


過剰なつながりを

見極めることができますように


事実だけを淡々と

解釈は無限大


ジブンゴトを

ジブンナリに

解釈するのは自由


他者の周りで起きたことを

ジブンナリに

解釈するのも自由


ただ

その解釈は

他者にとっては

ありがた迷惑のこともある


事実を事実として

淡々と温かく見守ることが

最大の寄り添いであることもある


解釈や意味づけをする前に

事実だけを事実として

淡々と観ることを

大切にしてみたい