がんばっているのか⁈

人は

無意識で

行動していることが多く


良くも悪くも

ジブンのことを

わからないでいる


っていわれてるね。


そういう中で

ワタシと最も縁遠い言葉が

『がんばる』

だと思っているのに


なぜか

『がんばってるね』

なんていわれたりする・・・(^^;;


だけど

周りの人には

わかることが

本人には

わからないでいる

だけだとしたら・・・⁈


そっかぁ〜〜

ワタシは

『我を張っている』

のかもしれない・・・な(^^;;

兄弟・姉妹って・・・

兄弟・姉妹って・・・


もっとも近い他人かも

だからこそ・・・

何かを感じとったり気づいたり学びがそこにあるんだと思えてきたよ。


仲良し兄弟・姉妹もいれば

不仲の兄弟・姉妹もいる


封建的な社会での兄と弟は

もしかすると

致命的な関係になりやすいのかも


兄には兄の

弟には弟の

それぞれの

言い分が

あるんだろうな


姉妹だって

同じこと


育てられ方も

大きく影響してる

だろうな


同じように

育てたつもりでも

同じに

育てることは

物理的に

ムリだから

足並みは・・・

揃えなくて


いいんです(╹◡╹)♡



おそらく

目指す方向と目的は同じでも


それぞれ人によって

進むスピードやプロセスは

違っていいんだよ


って意味合いだったのでは?

そういわれたときには

ピンとこなかったことを

解釈できるようになりました(笑)


ワタシの本音としては

目指す方向、目的に対する足並みが

揃っていないように感じられての

ことだったのですけどね


って

ジブンでは感じたのだけど

言葉にはできなかったなぁ・・・


どうやら

大切なことは

たいてい

トキを超えて

あとからやってくる

ようです(^^;;


"みんな"って

昨年から

ずーっと

気になっていた


"みんなで"


という

フレーズ


ようやく

腑に落とすことが

できたよ


まぁ、

フレーズは

"みんなで"

ぢゃなくても

なんでもアリ

というか

"みんなで"

に限らず

なんだけど


ようするに


目の前の人が

大切にしている

キーワード

キーフレーズ

ってハナシ


トキとバアイによって

共感できるトキとそうでないトキが

ワタシの中では明確にあって


だけど

その明確だと思っていた基準も

実は、どちらも偶然という必然

だったことも腑に落ちてしまって


どんだけワタシ

執着していたんだろうか

ってハナシでもあるんだけど


"みんなで"

というフレーズは

ワタシの目の前にいる人

にとっては

「正義なんだ」

ってことを

理解することができたの


その人が

大切にしていることを

受け止めることの大切さ


身をもって

その大切さを

再確認することが

できたよ


アナタが

大切にしていることを

知らせにきてくれて

みんな、みんな、ありがとう♡


めざせ♡宇宙一のママ

子どものシアワセを

願わない親なんていない。


って

言い切りたいけど


事実として

子どものシアワセを

願っているとは思えない

事件が起きたりするけど・・・


ワタシは

子どもにとって

宇宙一のママでありたい

って思っている。


アナタを

応援したくて

少しでもチカラに

なりたいと思っているけど

与えるだけでは押しつけだね。


それは

親のエゴだよね。


あれもこれも

良かれと思って

揃えてもらったって

ただ

揃えてもらったって、ね。


そんなこと

お願いしていないし

ただの

自己満足でしょ。


与えておけばいい

なんて

それは

応援とは

言えないと思う。


子どもがママを

宇宙一のママだと思うのは

どんなときだろう?


子ども一人ひとり

子どもの数だけ

その答えは

違ってくると思う。


あなたのお子さんにとって

今、必要としているのは

どんな宇宙一のママだろう?




基準をあげる

かつて

「基準をあげる」

と教わった。


文脈からして

相対的な基準をあげる

ことを意味していた

と思う。


もちろん

それはそれで

大切なこと。


ただ、

あげた基準と現実とに

ギャップがある限り

まだまだ、

という気持ちを

拭い去ることはできず

ときに苦しくなります。


基準をあげる前に

判断基準を見直してみよう。


相対的な基準ではなく

絶対的な基準に。


絶対的な基準とは

人と比較するようなものではなく

あなたはあなたのままで価値がある

ということ。


人の命には

一つ残らず

価値がある。


赤ちゃんも学生も

会社員も経営者も

女も男も

どの命にも

全て価値がある。


命の尊さに対して

しっかりと価値を見出し

しっかりと味わってから

相対的な基準に目を向けよう。


命に絶対的な価値を

見出すことができたあとに

相対的な価値に目を向けよう。


あなた自身が

命に価値を見出すことができれば

相対的なことで一喜一憂することは

なくなるに違いない。


何をしても

何をしなくても

あなたはすでに

価値ある素晴らしい

存在なのだから。