事実だけを淡々と

解釈は無限大


ジブンゴトを

ジブンナリに

解釈するのは自由


他者の周りで起きたことを

ジブンナリに

解釈するのも自由


ただ

その解釈は

他者にとっては

ありがた迷惑のこともある


事実を事実として

淡々と温かく見守ることが

最大の寄り添いであることもある


解釈や意味づけをする前に

事実だけを事実として

淡々と観ることを

大切にしてみたい

一番大事なこと

可能性を見いだすこと

チャレンジすることに

エネルギーをかけていながら


その一方で

あっさり諦めて

半ば匙を投げる案件もある


状況や条件によって

見通しは変化するもの

というか

状況や条件によって

変化させるもの


オトナの事情

っていうのも

あったりするし、ね


そんなことを

教えてもらったような気がする


人は

いろんなことをいうけど

ワタシはワタシ


周りのことを参考にしつつも

ワタシを大切にするのが

一番大事



わかっていること

運命は予想できない


でも一つだけ分かっていることがある。

本当に幸せにになれる人とは、
自ら進んで世の中の役に立つ全てを求め、
見出した人である。』

どなたのお言葉か
存じ上げないのですが
なんとなく
心地よく感じたフレーズ。

ただ、
言葉の真意を深く理解できずにいるワタシ

未熟者だなぁ
ってことも
わかっていることのひとつ(笑)


あわせる

人に合わせることを

大切にしているつもりでも


人の様子に

合わせているだけなのかも


つまり

フレンドリーな人にはフレンドリー

無愛想な人にはあたりさわらず

無難にやりすごしているだけ


人として在りたい姿を尊重し

相手との距離感や望みを観たうえで 

気を利かすかかわりをすることこそ

人に合わせることを

大切にしているといえる

気がする今日この頃




経験や体験

この世に生まれて

いのちが求めているのは

経験や体験


だからって

むやみやたらな

経験や体験を

仕掛ける必要は

ないのかもしれない


経験や体験は

日常そのものの中に

あるのだから


大切なことは

どんな経験や体験をするか

よりも

経験や体験をする中で

何を感じ

何を得たのかを

味わうことの方だから


人によっては

未経験や未体験を

追いかけ続けることが

経験であり体験なのかもだけど


どんな経験や体験をするかは

すでに決めて生まれてきてるのかも


キャッチ

経験や体験が大切

なのはもちろんだけど


もっと大切なのは

その経験や体験を通して

どんなことを感じたか

どんなことを得たのか

次はどうしたいのか



ジブンの中から湧き出たことを

キャッチして味わうこと


それらを意識しないまま

経験や体験に臨んでしまうと

価値が半減以下になってしまうかも

オトナとコドモ

オトナもコドモも
人間として同等

だけど
オトナとコドモは
分けられる

オトナとコドモの
境界線はどこなのだろう

そもそも
境界線なんて
あるのだろうか

コドモのようなオトナもいるし
オトナのようでコドモの人もいる

精神的に未熟な人は
オトナなのだろうか
コドモなのだろうか

コドモは擁護されて
オトナは非難される

オトナとコドモの境界線
違いを分ける基準はどこだろう

トキドキ
そんなことが気になってしまう(^^;;